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東京地方裁判所 昭和56年(行ウ)7号 判決

原告 富塚艶子

被告 社会保険庁長官

代理人 池田直樹 後藤博司 ほか四名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた判決

一  原告

1  被告が原告に対し、昭和五四年二月一九日付けでした厚生年金保険法に基づく遺族年金を支給しない旨の裁定を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文同旨

第二原告の請求原因

一  原告は、亡浅川誠(以下「誠」という。)の内縁の妻である。

二  誠は、厚生年金保険法(以下「法」という。)の被保険者資格を有していたが、昭和五三年一〇月八日脳出血により死亡した。

三  原告は、同年一二月二日受付をもつて被告に対し、法五八条の規定による遺族年金の支給を請求したところ、被告は、昭和五四年二月一九日付けで、誠には戸籍上届出のある配偶者浅川キサ(以下「キサ」という。)があり原告は法五九条一項に規定する遺族に該当しないから受給権がないとして、遺族年金を支給しない旨の裁定(以下「本件裁定」という。)をした。

四  原告は、本件裁定を不服として、同年四月一七日、東京都社会保険審査官に審査請求をしたところ、同年六月一三日付けで審査請求を棄却する旨の決定を受けたので、同年七月三〇日、社会保険審査会に再審査請求をしたが、昭和五五年一〇月三一日付けで再審査請求を棄却する旨の裁決を受けた。

五  しかしながら、原告は、誠と昭和三五年一〇月ころから同人が死亡するまでの間同居し、社会通念上夫婦としての共同生活を営んでいたのであるから、法三条二項に規定する「婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者」に該当する。したがって、原告は法五九条一項に規定する「配偶者」に該当し遺族年金の受給権を有するから、原告の支給請求を排斥した本件裁定は違法であり、取消しを免れない。

第三請求原因に対する認否

一  請求原因一ないし四の事実は認める。

二  同五のうち、原告が誠と昭和三五年秋から同人の死亡時まで同居していたことは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。

第四被告の主張

一  法五九条一項の「配偶者」の意義

1  遺族年金は、死亡した被保険者又は被保険者であつた者が法五八条一項各号の一に該当する場合に、その者の遺族に支給されるものである。ここにいう「遺族」とは、被保険者又は被保険者であつた者の配偶者、子、父母、孫又は祖父母であつて、被保険者又は被保険者であつた者の死亡当時その者によつて生計を維持したものである(法五九条一項)。

2  ところで、法五九条一項にいう「配偶者」とは、民法七三九条、戸籍法七四条の規定により婚姻の届出をした者のほか、婚姻の届出をしていないが事実上婚姻関係と同様の事情にある者をいう(法三条二項。以下「内縁関係にある者」という。)そして、内縁関係にある者とは、婚姻の届出を欠くが、社会通念上夫婦としての共同生活と認められる事実関係にある者をいい、その要件として〈1〉当事者間に、社会通念上夫婦の共同生活と認められる事実関係を成立させようとする合意があること、及び〈2〉当事者間に、社会通念上夫婦の共同生活と認められる事実関係が存在することが必要である。ただし、右の二要件を満たす場合でも、反倫理的な内縁関係にある者、すなわち、民法七三四条(近親婚の制限)、七三五条(直系姻族間の婚姻禁止)又は七三六条(養親子関係者間の婚姻禁止)の規定に違反するような関係にある者は、法三条二項に規定する「婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者」に該当しないというべきである。

3  届出による婚姻関係にある者が重ねて内縁関係とみられる関係(重婚的内縁関係)に入った場合、法五九条一項の配偶者をそのいずれと認めるかは問題であるが、民法が届出主義(法律婚主義)を採つている以上、届出による婚姻関係にある者を優先すべきことは当然である。ただ、届出による婚姻関係がその実体を失つたものになつている場合、換言すれば法律上の配偶者がないのと同視し得る場合には、重婚的内縁関係にある者が法五九条一項の配偶者に該当するものと解すべきである。右の「届出による婚姻関係がその実体を失つたものになつている」とはいかなる状態をいうか一義的に定めることは困難であり、具体的事案について個々に認定するほかない。例えば、当事者が離婚の合意に基づき夫婦としての共同生活を廃止していると認められるが、戸籍上離婚の届出をしていないとか、あるいは、一方の悪意の遺棄によつて共同生活が行われていない場合において、その状態が長期間継続し、当事者双方の生活関係がそのまま固定化していると認められるときは、届出による婚姻関係がその実体を失つたものになつているといえる。しかし、別居生活の状態にあつても、当事者双方に離婚の合意がないとか、その意思もないような場合、あるいは、一方の悪意の遺棄による場合でも、法律上の配偶者の生活費、子供の養育費等の経済的給付が行われ音信がある場合には、届出による婚姻関係は実体を失つていないとみるべきである。

二  本件の事実関係

1  誠は、昭和一六年一一月八日、キサと婚姻し、同人との間に四男二女をもうけ、昭和三四年にそれまで鉱山長として勤務していた新潟県東蒲原郡三川村の螢石採掘会社を退職し、出稼ぎのため単身上京した。それ以来、誠とキサは、誠が昭和五三年一〇月八日に死亡するまで別居状態にあつた。

2  誠は、右上京の際、キサら家族も同伴しようとしたが、売る予定の新潟の家が売れなかつたこと及び三人の子供がいずれも小さかつたこと(次男当潤一二歳、三男克宏七歳、四男たかひろ四歳)などから単身で上京した。その後、誠が後記のとおり原告と同居するようになつたため、キサと子供は上京の機会を失つた。このように、キサとしては、誠と別居せざるを得なかつたのであり、同人から上京を促されたこともない。

3  原告は、誠に法律上の妻がいることを知りながら、昭和三五年秋から誠の死亡時まで、東京都江東区、世田谷区、埼玉県川口市の各地において同居していた。その間、原告は二度妊娠したが、誠が子供の出生を望まなかつたため、二度とも中絶した。

4  誠は、昭和三四年の上京後昭和四八年ころまでは年数回帰省し、三日ないし五日間滞在していたが、キサの不祥事(キサが香水をつけていたのを誠が誤解したもので、キサが他の男性と特別な関係にあつた事実はない。)以来、世間体を気にしてキサのもとに立ち寄らなくなつた。一方、キサも、誠の帰省に原告が同行していたため、誠には会わないようにしていた。

5  誠とキサは別居状態にあつたものの、誠からキサに対し離婚を求めたり、離婚について協議しようとしたことは全くなく、キサも離婚を考えたことはなかつた。また、誠は、昭和三四年の上京以来昭和四九年三月に四男たかひろが高等学校を卒業するまでの間、キサあてに子供の養育費等の仕送りを一貫して続け、その後も死亡時までキサに月額四万円ないし五万円の小遺銭程度の仕送りを続けていたほか、昭和五一年及び昭和五三年の水害時には、同人にその様子を電話で尋ね送金した。更に、誠は、昭和四八年七月、三和土木工業株式会社に就職した際、健康保険法施行規則六三条の規定による健康保険被扶養者届に、健康保険法一条一項に規定する被扶養者としてキサ及び四男たかひろを届け出ていた。

6  誠の葬儀は二男当潤が喪主として行い、誠の遺骨はキサに引き取られ供養されている。なお、キサは、誠の配偶者として法の規定による遺族年金の支給を請求し、昭和五三年一〇月八日(同年一一月分)から支給を受けている。

三  本件裁定の適法性

以上の事実関係によれば、誠は法律上の配偶者キサがいたにもかかわらず、原告と同居し共同生活を営んでいたのであるから、原告との関係は重婚的内縁関係に当たる。しかし、誠とキサとの間において離婚の合意があつたとは認められないこと、誠は子供やキサに対して仕送りを継続していたことなどからみて、夫婦としての共同生活を廃止して「当事者双方の生活をそのまま固定化していた」とはいえないから、キサとの婚姻関係がその実体を失つたものとは認められない。したがつて、原告が誠と重婚的内縁関係にあつたとしても、法五九条一項の配偶者には該当しない。よつて、原告には遺族年金の受給権がないから、原告の支給請求を排斥した本件裁定は適法である。

第五被告の主張に対する認否

一  被告の主張一の主張はおおむね認める。

二1  同二1の事実は認める。

2  同2の事実は否認する。

3  同3の前段の事実は認めるが、後段の事実は否認する。

4  同4のうち、誠が上京後二、三年の間年数回帰省していたことは認めるが、その余の事実は否認する。

5  同5のうち、四男たかひろが高等学校を卒業するまでの間、誠が子供の養育費を仕送りしたことは認めるが、その余の事実は否認する。

6  同6のうち、誠の葬儀の際に二男当潤が喪主となつたことは認めるが、その余の事実は否認する。

三  同三のうち、誠と原告との関係が重婚的内縁関係に当たることは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。

第六原告の反論

一  キサは、誠と別居状態にあつた間、東京に生活の本拠を確保した誠から上京を促されたにもかかわらずこれを拒否し、子供とともに新潟にとどまつていた。誠とキサは、北海道の出身で新潟には双方の実家や父祖伝来の土地はなく、借家住いであつた上、キサは職を持つておらず、子供も小学生以下であつたから、上京できない理由は全くなかつた。

二  キサは、誠に対し原告と別れて自分と同居するよう求めたことはなかつた。キサは、誠が上京する前の昭和三三年ころから他の男性(清野和美)と特に親密な関係になり、この状態は現在も続いている。このことが原因となつて、清野の妻マツイは、昭和三四年一〇月ころ実家に帰された。また、キサは、昭和三八年に家の大改造を行つており、その当時も誠と同居する意思は全くなかつた。特に、昭和四二年にキサと右清野との不貞行為が誠に発覚してからは、夫婦の交流訪問はなくなり、昭和四八年以降は互いに一度も会つておらず、キサは、誠を夫あるいは父親として認めていなかつた。しかも、キサは、誠の葬儀にも参列しなかつた。誠も、キサの不貞行為を知つてからは、同人に対する愛情を全く失い、妻として認める意思はなくなつていた。そして、子供の成人を待つてキサとの婚姻関係を解消した上、改めて約二〇年間苦楽をともにした原告と婚姻するつもりであつた。原告らにも、生前口癖のように子供が成人したら原告を入籍すると述べ、原告の母が死ぬ直前にもそれを誓つた。誠は、四男たかひろが高等学校を卒業するまでは父親としての責任感から養育費を仕送りしていたが、卒業後は一切仕送りをしなくなつた。そして、昭和五三年八月、誠は、キサと協議離婚して原告と婚姻するため、新潟に出向き、当潤を通じてその協議を始めた。ところが、その後間もない同年一〇月八日脳出血で死亡したため、その意思を果すことができなかつたものである。

第七証拠関係<略>

理由

一  請求原因一ないし四の事実は当事者間に争いがない。

また、誠には、昭和一六年一一月八日婚姻した戸籍上の妻キサがあり、同人との間に四男二女をもうけたが、昭和三四年から誠が死亡した昭和五三年一〇月八日まで別居状態にあつたこと、他方、原告は、誠には右のとおり法律上の妻がいることを知りながら、昭和三五年秋から誠の死亡時まで同居し、夫婦同様の共同生活を営んでいたことは、それぞれ当事者間に争いがなく、本件において原告と誠との関係がいわゆる重婚的内縁関係にあつたことは明らかというべきである。

二  ところで、法五九条一項の遺族に属する配偶者について考えるに、届出による婚姻関係にある被保険者又は被保険者であつた者が重ねて他の者と内縁関係(重婚的内縁関係)に入つた場合において、届出による婚姻関係がなお実体をとどめているときは、法律婚主義の下においては届出に係る配偶者が右条項にいう配偶者と認められるべきであり、届出による婚姻関係がその実体を失つて形骸化し、かつ、その状態が長期にわたつて固定化し、近い将来解消される見込みのない状態、すなわち事実上の離婚状態にあると認められるときには、右届出に係る配偶者はもはや同条項の遺族年金を受けるべき配偶者には該当しないものということができるから、この場合には内縁関係にある配偶者について改めて同条項にいう配偶者に該当するか否かが判断されるべきものと解するのが相当である。

本件についてこれをみるに、<証拠略>によれば、次の事実が認められる。

1  誠(明治四三年二月一九日生)は、キサ(大正四年五月二五日生)と昭和一六年一一月八日婚姻し、同人との間に四男二女をもうけ、昭和三四年にそれまで鉱山長として勤務していた新潟県東蒲原郡三川村の螢石採掘会社を退職し出稼ぎのため単身上京した。それ以来誠とキサは、誠が昭和五三年一〇月八日に死亡するまで別居状態にあつた(以上のうち、誠とキサの生年月日を除き当事者間に争いがない。)。

2  右上京の際、誠は、キサら家族を同伴する予定であつたが、当時居住していた家屋が売れず引越費用の工面が十分できなかつた上、子供がいずれも小さかつたため(二男当潤昭和二三年一〇月一五日生、三男克宏昭和二七年一二月一五日生、四男たかひろ昭和三〇年五月七日生)、やむなく単身で上京することにした。

3  原告(大正一五年九月一一日生)は、昭和二五年ころ前記螢石採掘会社に人夫として働いていた当時、誠と知り合い、それ以来キサら家族とも交際していた。昭和三四年に誠が上京したころに原告も上告し、当初東京都内等で働いていたが、昭和三五年一〇月ころから誠と同居するようになり、東京都江東区、埼玉県川口市、東京都世田谷区、板橋区等に移り住んで、誠が死亡するまでの間、事実上の夫婦とみられるような共同生活を営んでいた。その間、誠は、勤務先を数回変つたが、終始建設会社の現場監督として勤務し、原告も飯場の炊事婦、人夫手伝い等をして生計を助けた。なお、原告は、二回妊娠したが、いずれも中絶したので、誠との間に子供はいない(以上のうち、原告が誠と昭和三五年秋から同人の死亡時まで右の各地で同居していたことは、当事者間に争いがない。)。

4  誠は、昭和三四年の上京以来昭和四二年ころまでは、盆、正月の休暇や出張の帰途を利用して年数回帰省し、その際キサとの夫婦関係もあつた。もつとも、その間キサの側にも不貞行為があるとの噂があり、誠もその後これを現認したことがあつたため昭和四八年ころからは、狭い村落での世間体もあつてキサのもとには全く帰らなくなり、この状態は誠が死亡するまで継続した。しかし、誠は、事実上の長男であつた二男当潤とは往き来があり、昭和四三年ころ父親と同じ建設現場で働くため上京した当潤を自宅に引き取つて約一年間同居させ、また、同人が新潟に帰つて独立して以後は、同人のもとへ、しばしば帰省していた(以上のうち、誠が昭和三四年の上京以来少くとも二、三年の間は年数回帰省していたことは、当事者間に争いがない。)。

5  更に、誠は、昭和三四年に上京して以来、四男たかひろが高等学校を卒業した昭和四九年三月までの間、子供の学費、用具代等の養育費や燃料費等の生活費に充てるため、キサあてに毎月現金書留で仕送りを続け(多い時で七万円程度)、また日用品や学用品を送ることもあり、その都度手紙を同封して東京の近況を知らせる一方、家庭や学校のことに関してこまごまとした指示、助言を与えていた。たかひろが高等学校を卒業してからも、誠は死亡するまで、キサと同居していた三男克宏あてに時たま小遺銭程度(四万円程度)の仕送りをしたほか、昭和五一年と昭和五三年の水害時には電話で安否を尋ね、急ぎ見舞金を送金した(以上のうち、誠が四男たかひろの高等学校卒業までの間養育費を仕送りしたことは、当事者間に争いがない。)。

6  誠は、昭和四八年七月に三和土木工業株式会社に就職した際、健康保険被扶養者届に、健康保険法の規定する被扶養者として妻キサ及び四男たかひろを届け出るとともに、遠隔地被保険者証の発行を受けてキサに送付した。

7  他方、原告やその母は、かねてより誠に対し、原告との不自然な状態を解消するため、キサと離婚して原告と正式に婚姻して欲しいと懇望していた。これに対して誠は、原告らの気持は十分に承知していたものの、四男たかひろが成人するまで待つて欲しいと答えて言葉を濁しており、たかひろが成人した昭和五〇年の前後を含め、原告に対しては、キサとは離婚し原告を入籍すること、キサの焼香や一緒の墓に入るのを断わることなどの意向を示しながら、キサに対して、直接離婚を求めたり、子供に対してキサと離婚するとの意向を示したことは一度もなく、一方、キサの側にも離婚の意思はなかつた。ただ、誠としては、原告の将来の生活を慮り、できれば原告に当潤と同居してもらいたいと望んでおり、このため、昭和五三年八月の休暇に当潤方へ帰省した誠は、当潤に対し、将来原告と同居して老後の面倒を見てほしいと希望を述べたが、重婚関係の解決に向けての具体的な話合いはされなかつた。

8  誠の葬儀は、昭和五三年一〇月一一日、勤務先の諏訪建設工業株式会社の社葬として行われ、二男当潤が喪主となり、キサも会葬の挨拶状に名を連ねた。右葬儀に子供は参列したが、キサは右会社代表者の申込れを受けて欠席し、代つて原告が参列した。忌明け後、原告側と話し合つてキサが遺骨を引き取り、同年一二月、郷里三川村の自宅で内輪の葬儀を行い、遺骨を手厚く葬つた(以上のうち、誠の葬儀の際、二男当潤が喪主になつたことは、当事者間に争いがない。)。

以上の事実が認められ、右認定に反する前掲各証人の証言及び原告本人尋問の結果の各一部は、前掲各証拠に照らしてたやすく採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

以上の事実を総合すれば誠と届出に係る配偶者キサとの法律上の婚姻関係は、長い別居生活とその間におけるお互いの不貞行為等のため夫婦としての情愛がうすれていたことは否めないとしても、婚姻によつて形成された生活身分関係はなお維持されている状況にあり、誠が死亡した昭和五三年一〇月八日当時においても、なお婚姻関係はその実体をとどめていたものと認められるのであつて、婚姻関係がその実体を失つて形骸化し、かつその状態が固定して近い将来に解消される見込みのない状態、すなわち、事実上の離婚状態に至つていたものとは到底認めることはできない。したがつて、原告は、その余の点について判断するまでもなく、法五九条一項に規定する「配偶者」に該当しないから、原告には遺族年金の受給権がないといわざるを得ない。してみると、原告の支給請求を排斥した本件裁決は適法であるというべきである。

三  よつて、原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 三宅弘人 大藤敏 立石健二)

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